岩滝の歴史 −65−

安土桃山時代A 

−安土桃山時代の文化−


安土、桃山文化は城の文化であるといわれている。
安土城、大阪城、桃山城に見る如く、城郭建築を中心に、美術工芸が城に結成されていたからである。高層の天守閣を中核とした城は、金銀や漆でかざり、各層の座敷は狩野永徳とその一門(狩野派)の画家の描いた襖で区切られていた。
豪華で明るく、壮大な内容が桃山文化の特色であり、信長の安土時代から、秀吉の桃山時代を経て、江戸時代の寛永の頃までを桃山文化といっている。
桃山時代は城の芸術であると共に、東山文化から発展した芸道を更に展開した。
茶道では、千利休が活躍した。
秀吉が天正15年10月1日(1587)に催した北野の茶会をはじめ、しばしば大茶湯を開いているが、利休をはじめ、当代の代表的茶人を動員し、茶道に関心のあるものは、若党、町人、百姓、中国人まで参加させた。
茶の湯は単なる社交の術であるばかりでなく、政治的にも利用された。
秀吉の朝鮮出兵の影響によって李朝から新しい陶窯(とうよう)技術が入り、茶の湯の発展に刺激され陶器はいよいよ多彩になった。
本阿弥光悦は独自の楽焼茶碗をつくった。
小堀遠州は遠州流の建築、造園で有名である。
この時代になって外人(南蛮人)の渡来が頻繁になり、西洋文化が伝わり、信長、秀吉によって開かれた新時代の気風にマッチして、日本文化の中にとけ込み、それを一層雄大なものとした。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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