丹後ちりめん −1−

丹後ちりめんの歴史(1)


与謝郡において織物が、いつ頃から創められたかはっきりしないが、慶長六年(一六〇一)宮津藩主京極氏から献上した物の中に「精好紬織、後野村(加悦町)久右衛門、加悦町治左衛門御用被仰付」という記録から考えると、織物歴史の古いことが想像される。
昔から、与謝郡では農閑期に「精好紬」という絹織物を産出していたが、明暦元年(一六五五)藩主京極高広が此の織物に課税した。
丹後縮緬の沿革は、中郡峰山の絹屋佐平冶(のち治郎兵衛と改む)が、京都西陣でその製法を習い、享保四年(一七一九)(或いは正徳年間一七一一〜一七一五年ともいう)峰山に帰って本業を広めることに努力し、丹後縮緬の始祖として、丹後機業界の恩人として今尚尊敬されている。
また、加悦町の手米屋小右衛門、三河内村(野田川町)の山本屋佐兵衛等が西陣で織法を習い、享保七年(一七二二)帰国して製織を創め、その後、丹後の各地に伝わり、遂に丹後第一の産業に発展したともいわれている。

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