丹後ちりめん −14−

戦争と丹後縮緬(1)


昭和七年一月、工業組合法に基いて、従来からの「同業組合」は発展的解消をして「丹後縮緬工業組合」(理事長、津原武)が発足し「丹後縮緬工業組合峰山精練工場」と称し、昭和九年一月から操業を開始した。
当時の組合員一,七〇〇名、力織機一万台、従業員一五,〇〇〇名。
組合の主な事業は、生産統制、原料糸および織物の検査、精練加工、金融、納税事業補助、倉庫、その他、染色講習所、商品館の経営、宣伝会、機関雑誌、勤続従業員表彰、従業員の保護、取締並びに養成、商取引改善並びに保護、指導調査研究等であった。
昭和十五年六月、近衛内閣は新体制運動を打ち出し、同年七月七日、いわゆる七・七禁止令によって奢侈品の禁止を断行した。このため丹後縮緬も大きな打撃をうけ、その対策に四苦八苦の状態であった。

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