丹後ちりめん −17−

岩滝町と機業


これまで度々述べてきたように、峰山町の絹屋佐平冶が正徳年間(一七一一〜一七一五)に京都西陣から縮緬の製法を伝えてから、岩滝町にも漸次斯業に従事するものが出来て来た。
しかし、最初のうちは極めて僅かであり、又正確な記録もないのでよく分らない。
正徳年間から五十年後、即ち明和八年(一七七一)頃から漸くはっきりしだして来た。当時、既に岩滝には機数三〇台、弓木には十五台を数えるに至った。
安永四年(一七七五)には岩滝は機数九十八台に達した。その発展の速さには全く驚くほかない。この頃から男山にも斯業に従事する者ができ、機数も五台ばかりであったようだ。また弓木の支村石田は、岩滝、弓木等よりおよそ五十年おくれて文政年間(一八一八〜一八二九)に至って初めて機業に従事するものができたようで、文政七年(一八二四)には機数十八台に達している。
旧藩時代の機数(宮津藩資料)
町村名 明和年間 文化年間 嘉永年間 文久年間
弓木村 15台 21台 22台 30台
岩滝村 32台 35台 38台 49台
男山村 27台 27台 25台
(与謝郡誌)

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