丹後ちりめん −28−

第二次世界大戦と岩滝町の機業


前述したように昭和十五年七月七日「奢し品等製造販売制限令」いわゆる七・七禁止令が公布され、丹後の機業にも制限が加った。それのみでなく軍需品を造るため、寺院の鐘から、各戸にある鉄瓶等の銅・鉄類まで供出した。
もちろん、機業家からは織機を供出したが、戦時の機密保持の関係で供出台数について、丹後織物工業組合、その他関係方面に調査を依頼したが、正確な供出台数を詳かにすることはできなかった。
昭和十八年九月三十日、組合において臨時総代会を開き、整備委員会を設け、翌十九年から供出を実施した。
岩滝町においては、
石田地区  28名
弓木地区  21名
岩滝地区  67名
計    116名
の者が力織機を供出した。
供出価格は、
大巾織機   1台当   50円
小巾織機   〃     40円
今から見ると全くただのような値段である。
昭和十八年、岩滝精練工場は大阪からミシン機械を導入して軍需縫工場を開設した。
昭和二十四年九月、岩滝縫工場は閉鎖された。
昭和二十九年九月、岩滝加工工場を再開し、主として人絹縮緬の精練を開始した。

(整理工場の一部)

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