丹後ちりめん −3−

宮津藩の機業


政策宮津藩は、縮緬及び紬等の機数を制限し、之に鑑札を与えた。
製品の販路に至っては、京都に問屋が二十四軒あり、之等は皆宮津藩から嘱託されたもので之等の店を通じて各地に販売された。
又当時は、毎年三、四、五の三ヶ月間は一般に休業させる制度であった。これは、さきに述べた機数の制限をしたように製造高にも制限を加え、需要と供給のバランスをとろうとした結果であり、従って其の価格に大きな差のあることは稀であった。元冶年間(一八六四)に至って未曽有の盛況を見た。

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