丹後ちりめん −4−

明治の大変動


明治維新は従来の社会制度に大変革を来した。
旧来の経済組織は根本的に変化し、従来豪商大家と称せられた旧家は急に衰微し、或は破産の悲運に遭遇し、これまで経済的に恵まれなかった階級の人が巨万の財を得て、いわゆる新らしい成金が生れた。
機業家にとっても従来の政策、制度は消滅し、製造品は自由に取引できるようになった。従って小規模の経営者は、価額を維持するため、既製品を持ちこたえる資力がなく、その上、例年の休業日の制度も廃止されて自由に製造できるようになった結果、需要と供給のバランスを失い、生産過剰になり、丹後縮緬も次第に粗製濫造の傾向を生じてきた。
明治六年(一八七三)当時の管轄庁であった豊岡県においても、古い記録を参考にして機株を交付したり、「物産取扱所」を設けて取締り、多少の保護の方法を講じた。けれども間もなく廃県となり、京都府管下となるや、槇村知事は豊岡県時代に実施した制度を廃止し、業者には何の連絡もなく「丹後織工引立仮規則」を制定した。その目的は、丹後の製品を一手に集めて売買し、業者が従来のように自由に活動することを禁じようとするもので、西陣機業を保護するため、極力丹後機業の進出をおさえようとした。槇村知事のこの政策によって、丹後機業は大打撃をうけ再び前の状態に逆転し、同業者の団結は乱れ、明治十四、五年(一八八一〜一八八二)頃、機業家は製造品の濫売をするに至った。
すなわち、ひそかに製品を京都に送り、原価から一割乃至二割の割引をして売り捌く者が出て来た。こうしたことから丹後の機業界はピンチに直面した。

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