丹後ちりめん −6−

織物組合(1)


その後機業家の団結は益々崩れ、個々分立の傾向が生じて来た。明治十九年(一八八六)組合を設けて其の矯正に努め、二十一年府取締規則に基いて規約を改正し、二十三年(一八九〇)解散したが、二十五年(一八九二)府令同業組合取締規則の発布に依り、各部別に規約を設け、二十六年(一八九三)四月「丹後縮緬三郡組合連合会」を組織し、事務所を中郡峰山(現 京丹後市峰山町)に設置した。
ついで三十一年(一八九八)「重要輸出品同業組合法」が公布され、中、竹野両郡(共に現京丹後市)は同年、与謝郡組合は翌三十二年(一八九九)組合組織を改め、熊野郡(現京丹後市)もまた同年組合を設けた。
こうして在来の「三郡組合連合会」は「四郡同業組合連合会」に改められ[法人]とした。三十三年(一九〇〇)「重要物産同業組合法」の改定によって、その後も其の下に組合を継続してきたが、熊野郡は年々機業家が減少して組合を維持することができない状態になった。
その頃、各郡の組合は機業界の趨勢に伴って、縮緬以外の製品を産出する必要を認め、明治三十六、七年(一九〇三〜一九〇四)連合会の事業として「織物研究所」を設けた。京都府は之に対し年額二千余円を補助したが、三十八年(一九〇五)之を廃止し、京都府は専ら丹後縮緬の改良発達を図る目的で峰山に「府立織物試験場」を設置している。

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