丹後ちりめん −61−

岩滝各区の機業 男山の機業(1)


男山は山林多く、流水豊富で耕地面積も広大な関係上、古来農事1本で生活を立て、岩滝、弓木が享保以来、漸次発展し、村是とするに至った機業には見向きもしなかった。
それは、機業は相場の変動甚しく、従って原料たる生糸の見込買い、製品の見込売りとなり、工業であって商業的性格を兼ねているため栄枯盛衰甚しく、10年間、同じ状態の者無しと評され、100年1日の如き農家から之を見ると危険千万視されていた。
しかし、掛機という賃織は主婦の内職として、農閑期の小遣取りとして男山にも之に従事するものが少くなかった。
宮津藩の記録による男山の機数は前述したが、更に戸数との関係を見ると、文化年間 27戸 27機、嘉永年間 27戸 27機、文久年間 25戸 27機、となっているが、縮緬機であるか、又自家用の木綿縞の織機であったのかはっきりしない。
また、天和5年(1865)己10月「貞亨2年か」宮津藩御領分内に縮緬、1ケ年間の生産高として、13098疋 算所組、2970疋 里波見組、3090疋、北村組、742疋 大野組 2080疋 網野組、 計 21980疋があげられている。
旧宮津藩の村々を5組に分けて、各組毎に1名の大庄屋を置き、其任期中はその大庄屋の所在地の村名を組の名としたのだから、北村組には宮津を含み、里波見組に岩滝、男山、府中を含んでいるのである。

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