丹後ちりめん −68−

岩滝各区の機業 岩滝の機業(6)
大正時代の岩滝の機業(2)


機業家の製品の利潤などまどろしいといって生糸、紡糸、紬糸等原料の買溜め、いわゆる俄相場師が続出した。
岩滝には立町に原料専門の丸岩会社が設立されたが、本場は峰山で、毎日大内峠越しで何人かの仲買人が各人の委託を受けて峰山へ出張した、岩滝でも従来の生糸縮緬問屋の三重商店(三谷重兵衛)、糸六商店(糸井六左衛門)、糸万商店(糸井万蔵)、○半商店(糸井半三郎、□糸商店(糸井時蔵)が之を取り扱った。
買えば上がるにきまっているのだから、機業家はみるみるうちに皆成金になり、百姓連まで見るに忍びずして紡糸三俵、紬糸五表とかをひそかに買うものが少なくなく、一獲千金の夢に投機的、相場に手を出し、虚栄心の趣くところ皆不相応な衣食住に金を惜しまず濫費した。
ところが、大正9年4月を境にして2800円の生糸がまた元の800円に急転直下暴落したから俄成金な邯鄲(かんたん)の夢の如く一夜明ければ元々というのはまだ恵まれた方で、10中8、9までは分産、倒産に終り、空売買の訴訟など各所に提起され、1年、2年と続いた。
しかし、中には、小室吉平、蒲田仙吉の如く巧妙に泳ぎ巨万の富を積んだ知恵者もあって、後の世の語り草となったものもある。
また、丸岩商店、丸三組合、岩俊商店の如く破産し、分産してしまったもの、他所へ遂転したものもあった。
岩滝の機業家がこの打撃から立直るには数年を要した。

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