丹後ちりめん −7−

織物組合(2)


各郡の組合は此頃から縮緬以外に「羽二重」「紋壁」「紋絽」の類を製織するようになった。中でも与謝郡は各種の織物を試作するようになったので、三十九年(一九〇六)与謝郡組合は「丹後織物同業組合」と改称した。
大正初期に於て、丹後絹織物の全産額は一千万円に達する程の盛況を見るに至った。
しかし、一方では丹後縮緬の需要も供給も飽和状態に達し、今後は衰頽期を経て終末期に近づきつゝあるのではないかという悲観的観測も一部に起ってきた。
大正十年(一九二一)に至り、三郡組合連合会は時勢の要求に促され、三郡を統一して一身同体の組合を組織することに同意を得、同年十月一日「丹後縮緬同業組合」の成立を見た。
各郡に支部を置き、本部に組長を、各支部に支部長を置き、本部の事務所は中郡峰山町に、与謝郡支部の事務所は三河内村(野田川町)におかれた。

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