丹後ちりめん −74−

岩滝各区の機業 弓木の機業(4)
動力掛撚車と機械の近代化


動力掛撚車
千賀由吉発明後、急速に発達、明治41年、糸井徳助、木崎清三が各20馬力発動機を据え、撚車の動力を貸す。賃金の競争から共に倒れ、43年木崎善兵衛、広野久助、広野覚治、糸井久治、糸井甚七、堀口常蔵等組合をつくって20馬力発動機によって撚車を経営した。
明治43年(1910)両丹電気株式会社の電灯がつき、電力が供給されるようになり、動力掛撚車が、電動力にかわった。
機械の近代化
広野秀吉(初代)が大正4年藤橋式力織機を据付けた。弓木における最初の力織機である。絹綜絖(べ)から針金綜絖に転換、この頃から生糸に壺糊を施すようになった。
整経(たてへ)の機械化、堅式を使用していたが、糸がズル(下(さが)る)ので横型に改めた。
大正6年、機屋全員(組合長・木崎善兵衛)先進地加悦町の力織機運転工場、西山、西雄などを視察しその機械化に驚いた。之れに刺激され大正7・8・9年手織りから足踏、力織機への一大転換が行われた。これは、弓木機業界の革命とでもいうべきことであった。

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