丹後ちりめん −76−

岩滝各区の機業 弓木の機業(6)
昭和時代の弓木機業界


イ.丹後大震災と弓木機業 丹後大震災により全滅に頻したが、総けつ起復興に努め、組合員37となった。
ロ.統制時代昭和15年7月7日、奢侈品等製造販売制限規則、いわゆる7・7禁令が公布され、金銀糸漆入などの高級品が禁止の対象となった。
昭和16年12月8日太平洋戦争に突入、昭和17年には小組合の結成を指定され、次のような小組合がつくられた。
昭和17年、政府の命令で結成された弓木の小組合。
第1組合 理事長 木崎善兵衛
第2組合 〃 堀口実冶
第3組合 〃 後藤勘助
外に紅屋工場
更には昭和18年には弓木有限会社に大合同をし、理事長には堀口実冶が就任した。
機屋行事の印
岩滝の機屋全部が一組合であった。その取締をしていたのが行事で、総代と同意義、字句の使用については行事の方が遥に古い。
明治中期まで使用。


弓木機業総代の印
明治中期まで使用されていた。「機屋行事」の印は「弓木機業総代」の印にかわり太平洋戦争まで使用された。

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