丹後ちりめん −78−

岩滝各区の機業 石田の機業(1)


当区織物創始は天保年間(1830〜1843)である。
山添藤右衛門及び、山添藤蔵(第2代)の2人が絹織物を織ったのがその嚆矢(こうし)であると伝えられている。その頃、宮津藩の鑑札をもって織物業を営み税金(機運上(はたうんじょう)を納めていたのは、弓木村26機、岩滝村43機であった。
その後、明治時代に入り追々と機屋も増加したが、皆百姓兼機屋で、農業を営みながら、一方で機織をしたのだが、そのは数10戸であった。当時は手織機で1戸1台位を動かし、雇人は殆んどなく家内工業で労働時間もそんなに長くはなく、1日1反も製織できなかった。
農家は大てい養蚕を行い、自家で生糸をつくり、その生糸をもって縮緬を織ったのであるが、逐年発展するに伴い、専業とする者も出来るに従い、原料生糸の不足も起ってきたので、之れを他村、すなわち、橋北地方(橋立以北の地方)、遠く熊野郡、但馬地方からも買い求めた。
商品の売先は大体京都であった。交通の不便な時代(汽車のない時)は、織った縮緬はその主人が、体力の強い男人夫を雇い、用心棒を兼ねてその荷物を担がせて京都まで徒歩で片道2泊3日がかりで持参したものであった。

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