丹後ちりめん −80−

岩滝各区の機業 石田の機業(3)


角尾重助の熱烈な宣伝によって、その後足踏織機も次第に数を増して据付けられてきたが、彼はそれに甘んじていなかった。
当時、足踏織機より能率数倍の力織機がある。(岩滝上利工場に1台あったのが岩滝の始め)これを据付けなければ成果を挙げることができないとの信念をもち、大正8年、彼は単独で金沢へ出張し、力織機(津田米式)8台を購入して帰った。
そして早速据付け、石油発動機の力によって之を動かした。当時、襟地、立絽を製織していた。しかし当時の力織機は津田式、岩永式の半木製品であったが、大正13年、山添定吉はそれ以上に優れた力織機(日本絹織機製作所のもので、スイスのルーチー模倣品1台2000円)6台を据付けた。
そしてその後、機屋は追々と力織機に換えていった。

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