丹後ちりめん −85−

岩滝機業資本の発展(1)


周知のように、丹後に西陣の技術がもたらされて、縮緬機業が創始されたのは享保年間であった。それは主として加悦谷および峰山盆地の村々において始められ発展していった。その丹後機業のうちで、岩滝機業の占める位置は次表のごとく(「与謝郡誌」下)。その機数からいえば、かならずしも高いものではなかった。
明治20年の「与謝郡岩滝村弓木村男山村沿革取調書」(京都府所蔵)には「岩滝村弓木村ハ往古農業一途ナリシガ。天明年間以降漸次ニ縮緬業ヲ兼ヌルト古老ノ言伝ニ止マル、書類ナシ」「男山村ハ往古ヨリ尚今ニ至ルモ農業一途ニシテ生活ヲ為セリ」といっている。この文言はこの表からみれば必ずしも正確な記載ではないともおもわれるが、明和−寛政間の諸史料においても機業のことが殆んどふれられていないのは、文書の性質によるとはいえ、その期においては岩滝のレーゾン・デートルは米津出しとそれに伴う諸品輸入の港津としてであり、機業が大きな意味をもっていなかったと考えられよう。
下の表で明和年間と文久年間の比較で、与謝郡全体の機数は2.75倍にふえているのに、岩滝では1.53倍しかふえておらず、弓ノ木でも二倍である。ここからみれば、岩滝の機業は、その機数では丹後機業のなかにしめる比重は幕末でも10分の1以下であり、大きいものではなかったことが知られる。むしろ岩滝機業の特質はのちにのべるように幕末における機業関係の商業資本−糸絹兼営問屋資本の巨大な成長であるといえよう。
 
岩滝諸村機数表(単位:機)
村名 明和年間 文化年間 嘉永年間 文久年間
岩滝 32 35 38 49
弓ノ木 15 21 22 30
男山 27 27 25
宮津藩
与謝郡計
315 524 794 869

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