岩滝の歴史 −77−

江戸時代(12)

−奥平大膳太夫昌春−


元禄10年(1697)5月11日入城した奥平熊太郎は、当時わずかに4才であった。禄高は宇都宮城主の時と同じ九万石であった。阿部と奥平の禄高の差一万石はお蔵入りとなり、大津十万石の代官、石川清一郎が兼務を命じられた。
宮津では、祝儀の使者は一人の方が都合がよいというので、職人町の市兵衛が、名物の鯣(するめ)と樽と扇子をもって江戸屋敷に行った。銀子五枚を返礼にもらい、さらに宇都宮まで行った。
この時の経費負担は町家一戸当り銀二匁であった。
御蔵入りとなったのは竹野郡と熊野郡であったので、熊野郡の湊宮村(久美浜町)に船番所が設置された。
手付役人ら六人の元締として長谷川六兵衛が出張し、元禄15年(1702)まで6年間勤めた。船番所というのは、御蔵米の回漕などを取締る役所で、熊野郡に代官出張所御陣屋(役所)のできたはじめである。
奥平氏拝領後しばしば検地を行ない二百十八石五斗三升一合の新田を増加した。
「采邑郷村帳」から岩滝に関する部分だけを抜粋すると次のようである。

高千三百七石六斗一升二合 弓木村(外に六石 新田)

高千百六十一石五斗八升二合 岩滝村 (外に二石三斗五合 新田)

高千六十石七斗五升八合 男山村(外に三石九斗六升 新田)

享保二年(1717)奥平大膳太夫昌春は豊前中津にお国替となり、城は、代官久下藤十郎が、受取りのその年の6月7日卯の刻(午前6時)青山大膳亮に引き渡した。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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