岩滝の歴史 −78−

江戸時代(13)

−青山大膳亮幸侶(幸秀と改名)−


享保2年(1717)正月、信州飯山城主青山大膳亮幸侶が四万八千石で宮津へ所替えになったという通知がきました。
町総代、職人町の嘉左衛門と、河守の大庄屋理兵衛の両人が挨拶のため3月4日出発し、4月18日に帰国しました。
飯山で御祝申し上げ更に江戸へまかり出て殿様にお目にかかり、御献上物を差上げたところ、御料理を下さって、其の上、御祝儀に両人は銀子十枚をいただいて帰りました。(宮津日記)
青山氏の采邑は本領四万八千石、新田三十五石三斗六升七合であったが、その後再三検地を行い六百八十二石八斗二升七合の改出があった。
青山氏から次の宮津藩主松平氏(本荘)に、宝暦9年(1759)6月に引継がれたものが幸い与謝郡役所に残っていた。
岩滝分を次に登載しておこう。
丹後国郷村高帳
同国与謝郡内
高千三百三十三石五斗七升七合 弓木村(内二十五石九斗六升五号 新田改出)(外に六石 新田)
高千二百七石九斗一合 岩滝村(内四十六石三斗一升九合 新田改出)(外に二石三斗五合 新田)

高千六十一石一斗二升七合 男山村(内二十石三斗六升九合 新田改出)(外に三石九斗六升 新田)

当時、与謝郡の六十九ヶ村中、千石以上の村は石川村の三千六百六十三石八斗三合を筆頭に、須津、下山田、上山田、四辻、幾地、弓木、岩滝、男山、明石(あけし)、三河内、温江(あつえ)、滝の十三ヶ村であった。(野間雲原村を含む)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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