岩滝の歴史 −81−

江戸時代(16)

−酒株−


古い時代の酒は、濁酒であった。室町時代から清酒はあった。
摂津(大阪府)伊丹(いたみ)在の鴻池家が、慶長4年(1599)清酒を人にかつがせて、陸路江戸まで送ったのがもととなって、白米で作った清酒が関東にまで拡がったと伝えられているが、江戸時代になってはじめて酒といえば、白米で作った「清酒」を言うようになった。
不作凶年には市販用の酒造の制限が行われた。
酒造米の濫費を取締るために「酒株」が発行された。「酒株」は酒を作る「権利」である。
「株高」には、三百石株、二百石株、百石株、八十石株、六十石株、四十石株、三十石株などがあった。百石株というのは百石を作ることができるという権利である。
新株の増発は許されなかったらしいが、売買は可能であったようである。
例えば、岩滝村の者が宮津町の者から酒株を買いうけるためには、先ず庄屋に願い出、庄屋から郡奉行に届けると、郡奉行は町奉行と交渉する。町奉行は町年寄とか組頭に命じ譲渡する気持の有無を確かめた上で郡奉行に返事をする。売買が成立すれば藩許を受けることになる。「宮津日記」
矢野記
元禄15年3月7日宮津町ニ有酒株若狭屋善右衛門持男山村勘助方へ引取可申談合御家老衆へ立寄申ニ付、郡奉行代官衆頼町奉行同郡ノ内へハ不苦ヤト御申之由本町年寄泉屋伝右衛門ヘ被申候由、教共町ハ御城下ト申其上御町奉行ノ御支配在方ハ郡奉行ノ御支配申候ヘハ、尤モト被仰候由其後何ノ仔細モ無之候(丹後史料叢書)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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