岩滝の歴史 −84−

江戸時代(19)

−郷村帳と岩滝の石高−


宝暦9年(1759)正月5日、遠州国浜松の城主、松平富之助資昌(本荘氏)が、七万石をもって宮津に移封を命じられた。
宮津の町名主、白柏町の孫左衛門は例のごとく御祝物をもって挨拶に行った。
この費用は軒別に銀二匁づつ分担した。
本荘氏の釆地七万石のうち一万石は近江国にあったから丹後の封地は六万石であった。 宝暦9年6月、幕府の代官大野佐左衛門から引継いだ郷村帳を、明治2年11月民部省へ返上した記録により当時の岩滝の石高を次に示しておく。

御領知村高帳

丹後国・近江国御領知高
御高七万□七百十八石一斗九升四合(内新田 高七百十八石一斗九升四合)

上記内(丹後国与謝郡)
高三万九千六百五十七石二斗八升八合(内新田 高五百九十一石六斗六升九合)

上記丹後国与謝郡内(弓木村)
高千三百三十九石五斗七升七合(内新田 三十一石九斗六升五合)
上記丹後国与謝郡内(岩滝村)
高千六十五石八升七合(内新田 四十八石六斗二升四合)
上記丹後国与謝郡内(男山村)
高千六十五石八升七合(内新田 二十四石三斗二升九合)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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