岩滝の歴史 −86−

江戸時代(21)

−天明の飢饉−


資昌は、宝暦12年正月18日(1762)19歳で死んだ。
資尹も明和2年7月(1765)20歳の若さで死に、子がなかった。
松平備前守源正温の三男富次郎資承が家を継いだ。資承は天明4年(1784)に寺社奉行になった。
天明3年6月7日(1783)大空でドンドンと響く音がした。
何事だろう、と近所の者が話し合っている。酒屋の桶をしめる音によく似ていた。
その内に止むだろうと待っていたが段々大きく響いて止まない。町中災難を逃れるために灯明をともし、神々に参詣する者が多かった。
夜が明ける頃は少し鳴り静まったが、翌日の昼になっても障子が響いていた。怖いことだと話し合っていた。20日ばかりも経ってから信州の浅間山が爆発した音だということがわかった。(宮津日記)
浅間山の爆発による死者は二万人もあったと記録されている。
天明3年(1783)は更に大雨と洪水で諸国とも不作で米価は高騰した。
「甲辰(天明4年)春正月、米益々高値にして、銀百匁なり」(宮津日記)
寺院は難民に施行粥を与えた。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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