岩滝の歴史 −87−

江戸時代(22)

−天明の飢饉−


長雨が降り続くので5月には日和乞いをして万燈をともしたりしている。
災厄の年には悪病が流行するので、大公儀(幕府)から疫病薬、毒消法書付(疫病消毒法)が出された。(宮津日記)
それでも、道ばたや辻堂で倒れ、死ぬ者は数え切れぬほどであった。
生活苦から逃れようと、各地に一揆が起った。
久美浜代官支配所の百姓一揆は天明4年(1784)の10月で、宮津藩から鎮圧に加勢の軍を出した。
天明5年(1785)も夏から大暴風雨がつづいて、稲は実らず、11月の新米は一石につき銀八十一匁であった。この八十匁代はその後9ヵ年も続いたようだ。
「天明5年の春、万事倹約するよう御改革を仰せ出された。町方の者は衣服、家宅を質素にし、婦人の飾り、男の紙入、煙草入、きせる等に至るまで大ものをはぶき、倹約第一にすべし」(宮津日記)というような長さ一丈余(3メートル余)のお触れ書きが出された。
寛政6年(1794)を迎えると、こんどは反対に、夏から秋にかけて雨は一滴も降らず、大旱であった。しかし「日照りの年は豊作」といわれているとおり米収は案外多く、価格も石当り六十一匁まで下った。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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