岩滝の歴史 −92−

江戸時代(27)

−宮津騒動C−


城中狼狽一方ならず。家老、御用人、大目付等は評定席に詰切り、御番頭、諸組を預る者等は夫々要所の御門を固め、諸侍、小侍等何れも部署に就き、町奉行等は部下を督励して犬堂口、波路口を警固して農民の来襲に備えた。
農民、群衆海嘯(つなみ)の如くに押寄せ、犬の堂口で先ず衝突し、もみ合っている内に、番人の捕縄にかかるものが二、三人でた。これに刺激された群衆は一層猛り狂い、番舎二棟に火をつけた。

栗田から上宮津地方を暴れた群衆は波路口、京口に迫り、警固の武士と衝突し、攻防揉み合う内に、河守町絹屋河守組大庄屋真下六郎右衛門、出役六兵衛、庄屋喜兵衛、二俣庄屋武左衛門、外宮村米屋治兵衛、関村庄屋久左衛門等を襲撃した加佐郡の同勢が押寄せて来て、ときの声、怒濤の勢をもって防備を突破し、街に乱入した。

飛報が犬の堂に伝わると、警固の武士は「東、南両方既に破れたのだから、犬の堂を支えていても何の役にも立たない。者ども引けッ」の一令の下に、やっと挟撃を免れて城に退いた。
折しも、与謝村庄屋市郎左衛門、岩屋村大庄屋安達又右衛門、四辻村庄屋清左衛門、明石村庄屋六兵衛等を潰した遅れ組の同勢は須津村庄屋忠四郎、手組儀兵衛、同重左衛門等を途々に破壊して来た。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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