岩滝の歴史 −94−

江戸時代(29)

−宮津騒動E−


そもそも、客年来、お勝手元不如意のために追先納米並に日銭、その他役銀を課せられ、苛斂に堪えかねて、この挙に及んだ汝等の難苦難渋、察するに余りあるものがある。今日から日銭を免じ、尚、追先納米と奉公人増給の役銀を免じ、昨夜来召捕った七人の者を釈放し、外に今回の御手当として米千俵を下さるから、皆の者ども鎮まるよう。此の五ヶ条は栗原百助誓って取計らうから早々引取申せ」と、言々句々真心こめて言った。
地獄で仏にあったように感じた群衆は、蘇生の悦をもって解散しようとした。

魚屋町の湊屋は家財をなげ出して群衆をねぎらい、其の他、各町の心あるものは酒食をふるまって群衆を慰めたのに反し、かねて、沢辺等の一味であった横町の綿屋利助が一向に反省の気持のないのを憤慨し、同家に行って詰問しようとすると、犬之堂の番人角兵衛が部下を指揮してこれを邪魔した。折角静穏になりかけていた群衆は再び殺気立ちゝ一挙に同家を破壊し、続いて犬之堂の角兵衛宅をこわし、凱歌をあげて市外に出ていった。

それから、岩滝村の山家屋利七、米屋品蔵を襲って家財を破棄し、更に三手に分れ、一手は加悦谷に入り、滝村の庄屋伊兵衛を潰し、引返して平治峠を越えて中郡に、一手は大内峠を越えて中郡に出て、先ず、周枳村の庄屋新治郎と本家の徳助をうって竹野郡に下り、一手は男山の庄屋喜兵衛をつぶして堂土峠を越し、久住から堀越を経て溝谷村に出て、中郡から来た一手と合し、溝谷組大庄屋梅田三左衛門をこわし、破竹の勢を以って成願寺の庄屋直八、徳光村の勘兵衛、久右衛門、島溝川の庄屋祐右衛門、木橋の庄屋九右衛門をつぶし、網野町で、加悦谷から平治峠を越えてきた一団と合流して同町溝谷組副大庄屋河田平八、同村庄屋勘左衛門、浅茂川村手組弥三右衛門等を襲って財物を破毀(はき)し、更に木津村に至り、岡田の庄屋清七をたおして17日の夜になって終了した。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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