岩滝の歴史 −96−

江戸時代(31)

−宮津騒動G−


この一揆がおさまってのち、宮津藩の役人では江戸在勤中、家老職であった栗原理右衛門、同百助が格禄をとり上げられ、親子とも裏判所別座敷に入れられ、昼夜監視された。
また、沢辺渋右衛門は「御勝手頭取御免」の上、蟄居を命ぜられ、松山源五右衛門、飯原鎮平、古森乙蔵も役儀を取上げられた。一方、強訴の主謀者、吉田為治郎と吉田新兵衛については、文政6年2月15日召捕られ、つづいて三十八名がつぎつぎに逮捕され、為治郎以下十四名は4月17日入牢。

翌文政7年4月22日為治郎獄門。新兵衛打首となり、ほかに永牢二名、御国追放六名、御牢中病死一名の御仕置を受けた。その後、文政9年2月、栗原百助は揚屋を脱出し、島崎より小舟で江尻の浜に着き、大島村の藤五郎方に辿り着いた。しかし追手は早くも大島村にもやってきたので夜半ひそかに舟を出して、新井村の知人宅で一泊し、田辺領、小橋村をへて若狭から江州路を辿り、13日野洲郡守山守善寺に到着した。 しかし捕手が早くも近づいたので、蒲生郡八幡町蓮経寺へ入ったが、詮議きびしく、16日朝さらに由緒ある大雲院に逃れたものの追手に取囲まれ、ついに遺書を住職に渡し、後事を託して一間で自刀した。時に35才。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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