岩滝の歴史 −98−

江戸時代(33)

−宮津騒動夢物語(前編)−


「宮津騒動夢物語」は文政7申年(1824)12月香河村の細見政右衛門が書いた。政右衛門は、のち石川村に移り妻の姓を名乗って中西と改めた。それを香河村(香河村はのちに石川村と合併、石川村は現在の与謝郡野田川町)の細見音造が筆写したものであるといわれている。
この写本は明治7、8年(1874〜1875)頃のものであるといわれ、原本は既に失われているが、宮津領文政一揆は文政5年(1822)のことであるから「宮津騒動夢物語」はそれより2年の後、しかも、香河村と指呼の間にある石川村に端を発した事件を書いたものである。その真相を窺視するための貴重な資料であるといわねばならない。

「宮津騒動夢物語」は「一、騒動の初発」から「十六、徒党の人数罪科に行る事」に至る、十六編から成っているが、その中から、参考のため岩滝に関する部分のみを抜粋して当時を偲んで見たいと思う。 一、騒動の初発
干時文政5壬午年12月13日の夜五ツ時過より於加悦谷一面に俄かに騒立、数百人石川、山田の境目の場所に大なる火を焚き鯨波地を震し、村々の百姓ども一面に群集り(中略)家財道具打破り打潰し夫より岩滝村をさして出たりける。最早丑の刻にも成りぬれば鯨声地を動しければ驚き騒ぐ事夥しく百姓共我一に手道具を持ち真先に千賀八郎助宅へ打掛り、土蔵、酒蔵、稲蔵まで悉く打潰し衣類諸道具その外諸帳面まで不残焼捨て引さき打ちめぎ、思い思いの働き十分にいたし屋根をくずさん許りなり。夫より同村大庄屋糸井市郎兵衛宅へ押移り是又同様の致し方敢て算ずるに遑なし、然るに村々役人共より追々宮津に訴出るにおいて早速御役人様方御出張し盛んの人勢寄付ことあたはず、漸く夜も明けぬれば百姓の向思い思いに我家へ帰りける。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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