岩滝の歴史 −99−

江戸時代(34)

−宮津騒動夢物語(後編)−


三、日置江、男山騒動の事
・・・去程に百姓共切戸の渡りを案じ野田橋へ廻るもの多かりけり、依之男山村出役庄屋喜兵衛宅を例の如く打潰し家居諸道具はいふに不及、米麦粟稗まで持出し道にて切うつし撒き須津峠を超えて犬の堂へ詰掛ける。・・・
六、須津、岩滝、加悦谷村々の騒動の事
・・・夫より岩滝村手組連中小室利七宅へ押掛り散々に打潰し例の通りに有程のもの不残打砕き中々言語でも表しがたく筆紙にも尽され難く追々肝の太なりて大胆不敵の致方にて西光寺の早鐘撞くやら上を下へとまぜ返し、米屋品蔵宅を襲ひて例の通りに打破り、弓木村庄屋藤兵衛宅も打潰し最早夜明ヶ十七日に成りけり。・・・

十四、町在共被潰候人々へ御憐愍の事
去冬騒動の砌町在共被潰候者共へ御代官様より御差帋に而被仰出候は、三月廿日夕方迄に出津有之べく様被出候に付在方の者共は廿二日迄に不残出津仕候処、明廿三日四ツ時に郡会所へ袴羽に而可罷出旨御渡候に付各罷り出で候処仰被渡候御趣意は、旧臘の騒動に付其方共不計難渋致し之有候段兼て達○○(不明)御聴に早速御取扱をも可被成之処当時御勝手の御繰せ故格別之以○○(不明)御愍を聊を俵数被下置候間難有頂載可仕旨被仰渡候、依之銘々へ御切紙を以て御米に而或は七俵五俵三俵等夫々身元に随ひ又は滑し方の甲乙に従ひて御取扱ひ被為遊皆々難有奉頂戴候、・・・
与謝郡下組御領分手組頭取 岩滝村 千賀八郎助
同 組同断 同村 小室利七
同 組大庄屋手組同断 同村 糸井市郎兵衛
同 組出役庄屋 男山村 喜兵衛
中郡組 組出役庄屋 弓木村 藤兵衛

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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