岩滝の歴史 −100−

江戸時代(35)

−村役人−


今までは藩主、領主が、藩政を如何に行ったかを中心に書いてきたが、ここで藩主はどうして藩政を領民に伝え、これを徹底させたか。これを、こんどは下から、すなわち村の方から眺めて見ようと思う。
当時は庄屋、組頭、百姓代、月番等があって、各村共比較的自治が重視されたかのようであった。
しかし、これは次に述べるように役人の選任等の方法が一見地方自治を尊重したように見えるだけであって、上意下達の便を計ってのことであって、地方行事については総て、代官(領主)に願い出たり、届けたりして指示を仰いだのであるから本当の自治が行われたとはいえない。

上記の役人の外に大庄屋があって、数十ヶ村を合せて一組とし、これを統轄していた。
之等の役人は庄屋が各村(男山村、岩滝村、弓木村)一名、組頭は岩滝、弓木の両村は各二名、男山村は一名であった。
百姓代は岩滝、男山が一人ずつであったけれども、弓木村は二人であった。しかし、岩滝村だけは月番というものを六人置いていた。
役人の任期は、各村とも、庄屋は三ヶ年で、組頭、百姓代は一ヶ年であった。
庄屋は任期が満了すれば、退役願を代官へ差出し、後任選挙の達しのあるのを待って、村内一般の投票を行い、高点者を代官に上申した。そうすると郡会所から当選者を召喚し、代官が庄屋を任命した。組頭の選挙の手続きも之に準じたが、ただ百姓代は当選の旨を通達するにとどまった。
ただし、其の村に庄屋の適任者が無い時、或は事故のある場合は他村の庄屋兼務させることもあった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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