岩滝の歴史 −101−

江戸時代(36)

−村役人の職務(前編)−


庄屋は領主の法度(はっと)によって事務を執行した。其の取扱い方の大要は次のようであった。

1、法度書(規則書)及び村内掟(おきて)書等を毎年正月初集会の際、村民一般に読み聞かせ、触(ふれ)書は其の都度村小使を以て各自へ示した。
2、宗旨人別調は毎年2月、庄屋が下調をし、再び正確かどうかを調査して3月中に代官へ報告した。

3、村入用取立及び支払の方法
イ、岩滝村では其の年の前半分の実費を標準として一ヶ年分の予算書を作製し、7月になったら、其の全額を取立て、前半分は其の月に支払い、後半分は必要に応じて支出し12月になって収支の決算をした。
ロ、弓木村では前半分の実費を7月に取立てて支払い、後半分はまた同じ方法で12月に取立てて支払った。其の両度の取立てを夏割、冬割といった。
ハ、男山村では取立ても、支払いも、ともに弓木と同じ方法であった。
4、村内に奇特者があった時は其の詳細を代官に上申した。
5、村内に貧窮者がある時は先づ村内で出来るだけ扶助するが、其の貧窮の程度が甚しく、到底村の資力では堪えがたい者は代官に上申した。捨子も応急の養育をし、その上代官に上申し、救助の指揮を受けた。
6、旅人宿は、其の挙動を庄屋が注意するに止り、乞食、非人の取締に就ては下人(番人)と称する者があって之に其の取扱いをさせ、かつ、行路死亡人があった時には代官に届出て指揮を受け処置をした。其の費用は村費で支出しなければならなかった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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