岩滝の歴史 −103−

江戸時代(38)

−おかげまいり(上)−


「おかげまいり」といって、集団で大挙して伊勢参りをするという風習が流行した。
慶安3年(1650)三代将軍家光の時にはじまり、それ以後だいたい60年を周期とし訪れている。
おかげ年に伊勢参宮をすると特別に御利益があると、誰言うともなく、ついにそれが流行するようになった。
宝永2年(1705)享保3年(1718)明和8年(1771)天保元年(1830)にはおびただしいおかげまいりの集団が、伊勢に殺到した。中でも天保元年は最も盛んであった。
おかげまいりの起る前には、大体きまった兆候があらわれる。屋根の上とか庭などに、いつともしれず大神宮のお札がふってきたり、米つぶ、大豆、小豆がふってくる。ときには金銭、白羽の矢、馬の毛などもふってくる。あるいは不測の災難をまぬがれたとか、不治の病がなおったとかいう奇跡が起る。
こうして、おかげ年の利益にあずかろうとする老幼男女が、先を争って伊勢へ出かける。
「おかげまいり」と書いたスゲカサをきて腰にヒシャクをさして、大部分の者は無銭で出かけるが、道々、宿泊から路銭、食物、ふろ、馬、かごまで施行(せぎょう)がある。
先頭に目印を立て、細引でつながる組もあるが、団体にはぐれても、あちらの村から一団、こちらの町から数団とくるので困ることはない。これらが途中で一緒になって更に大きな団体になる。
大阪堂島の施行宿は、一夜に千八百人もとめたが、泊めきれぬものは民宿した。
参宿街道はおかげまいりの者で身動きできない有様であった。
伊勢山田奉行の報告によると閏3月、一ヶ月の参拝者二百二十八万人であった。(「日本歴史」読売新聞社刊)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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