岩滝の歴史 −105−

江戸時代(40)

−おかげまいり(下)−


文政13年3月(1830)上旬から伊勢大神宮へ抜参りが流行し、諸国一統おびただしく参詣した。然るところ、同年5月中旬頃から当国府中一の宮大神宮に、伊勢同様おかげまいりが流行し、丹波、但馬、若州から、日々おびただしい参詣人が群れ集った。
上記につき、当国、町、在とも日々一の宮へおびただしい献上物、或は往来の参詣人へ種々の施行、前代未聞の賑い、言葉では申し述べがたいほどであった。
同年冬に至って年号を天保元年と仰せ出された。
天保元年12月(1830)殿様(本荘宗発)が、京都所司代となられたので、御領分の町、在一統御祝いとして御米、御酒料等くださって、殊の外町方賑い、ニワカ等をいたしました。(宮津事跡記)
いろいろな史料から「おかげまいり」を引用した。
我が、岩滝の史料はないが、こうした文献から当時の郷土のようすも想像できる。
はじめ、伊勢にむかっていた「おかげまいり」が近くの府中の一の宮にかわってからの郷土は、参拝する群衆の通路に当るため賑ったが、その反面施行等のため仕事も手につかず、ずいぶん迷惑したものだろうと思われる。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


戻る