岩滝の歴史 −106−

江戸時代(41)

−本庄宗秀−


宗発は天保11年8月25日(1840)江戸で死に、松平丹後守宗秀が11月4日に家督を相続した。
天保14年(1843)宗秀は宮津に帰り、第一に入牢17年目の栗原理右衛門を牢舎から出し、「余、江戸にありといえども、事の顛末は承知している。長い間苦しめたことをゆるせよ。
聴けば藩中の最長老であるということだ。今日から家老執権を申し付けるから、そばにいて余を輔弼せよ」と、いって、九十余才の老体を抜擢して座右に召した。
老人また君恩に感じ、誠忠をつくして藩主を扶け、貧窮のものを賑恤し、災禍に遭遇したものを救い、非違を糺弾し、善行を褒賞し、つねに賞罰を明かにし、公平で治績を挙げたと書き残されている。
宗秀は文武に長じ、閣老も勤めた。長州征伐に際し、広島で宍戸(ししど)、小田村の二家老を独断で解放したが、其の他逸事の多い人であった。明治6年12月20日(1873)死んだ。享年65才

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


戻る