岩滝の歴史 −108−

江戸時代(43)

−宮津藩の海防(下)−


「縁城寺年代記」には「安政4年、宮津様、島崎砲台御築立、4月出来上る」と、書かれている。
安政4年10月、宗秀は幕府の寺社奉行に就任した。
島崎砲台の完成した安政4年は雨が降り続いた。大砲製作費として早速、町方に金一万四千両の御用金が申し付けられ、諸商売は不景気の上、諸国とも不作で新米は一石銀百三匁から百十匁の値段であった。
田井片島、獅子崎、波路浜、犬の堂、天の橋立、江尻、日置妙見山の七ヶ所に御台場が築かれることとなり、奉行たちは手別けして領内の寺々に釣鐘の献上を依頼して歩いた。中には釣鐘の身代わりとして檀家の鐘、カンザシなどまで集めたが、目方が不足したので、代銀(銀納)を願い出たが許されず、寺も檀家も苦しんだ。 安政4年12月1日(1857)から7日まで、幕府から海岸お改め(海岸調査)の役人十五人が、同勢百六十人を従えて来丹した。但馬らか出雲方面へ行く途中であった。
このため、領内の村々から人足を一日に一千人、計七千人が徴発された。
共廻りの侍は気性が荒く、いろいろ難題を持ち込み、出役の町、在の役人(庄屋、町名主)たちはこまらされたということである。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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