岩滝の歴史 −111−

江戸時代(46)

−ええじゃないか(後編)−


当時、当地方で流行した歌ではないかと思われるものが、「三重郷土誌」に記載されているのでその中から、二、三挙げてみる。

塩釜街道で巾着拾ろた
   ヨイジャナイカ、ヨイジャナイカ

開けて見たれば大神宮。
  伊勢カラ神ガ降ル
  御蔵ニ米ガ降ル
  大黒ノ金ガ降ル
   好イジャナイカ、好イジャ、好イジャ

むすめ踊れ、品よく踊れ、
   好イジャナイカ、好イジャ、好イジャ
  品の良い子を嫁に娶(と)る。

内は目出度や、神様が降る。
   好イジャナイカ、好イジャ、好イジャ

金と銀との鶴が舞う。

御釜デ飯炊ク、斗鍋デ燗スル
  飲ンデ踊レバ
   好イジャナイカ、好イジャ、好イジャ

此処に挙げたものは比較的上品なものだけを記したが、記すことをはばかるような卑猥なものが多かった。
要するにお蔭参りも、ええじゃないかも、共に人情を浮華に導き、世態を淫猥に流れしめ、社会の風教を紊したことは争えない。

「ええじゃないか」の大衆混乱は、倒幕派の志士が計画的に仕組んでおこしたとする見解が古くからあった。即ち、倒幕派はこの大衆混乱が、自分等の政治活動の計画を、幕府の探索や人民の目からそらすのに好都合であった。
とにかく、開国と鎖港、尊王と攘夷の論が国内に沸騰し、薩長両藩の如く討幕をはかり、また土佐藩は大政を奉還するよう建白書を将軍に送る等、尊王の志士は東西に奔走し、佐幕の与党は南北に横行し、天下は騒然とした。
勤王の志士は気脈を通じ東西一斉に皇太神宮の守札降下の流言を放ち、全国の人心を収覧して革新善政と革新を謳歌讃美し、酔狂舞踊させたのだろうといわれ、これを「好いじゃないか」といい、お蔭踊り、また、善哉踊りといった。(日本歴史)(丹後宮津誌)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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