岩滝の歴史 −224−

民生の安定と社会福祉(1)

−岩滝における慈善救済(1)−


与謝郡における慈恵救済の古い時代のことは資料がないのでよくわからないが、旧藩時代には慈恵救済のことが重視されたようだ。
我が岩滝が、旧藩時代に藩の救済を受けた実例を「与謝郡誌」で見ると、「宮津藩臨時留」という文書の中に、天保15年(1844)(12月改元弘化元年)のところに去る丑年(文政12年、1829か)以前、不作で借が多くて難渋していたので米銀を拝借した。

その後、追々返上してきた。残りの分については、憐みをもって半分に切下げ、残りの半分は辰より辰年迄(天保15年(1844)すなわち、弘化元年から明治元年1868までか)の25ヵ年で上納するよう仰せ付けられたと記録されている。
一、 岩滝九ヶ村で、藩から米を千六百六十三俵六升八合九勺借りた。
その残りについては五十七俵六升八合九勺は寅年(天保元年か)以来の貸しだから問題にしない。

そして二百九十二俵二斗は被下切(くだされきり)(岩滝組からいえはもらいきり)それと同量の二百九十二俵二斗は今後25ヶ年間で返納したらよい。
二、 弓木組十ヶ村は米二千二百三十七俵を借りた。
末納の四百七十俵二斗はもらいきりで、それと同量を25ヶ年間に返納すること。
なお、六百七十俵は寅年以来の貸しだから問題にしない。
以上のような通知を受けている。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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