岩滝の歴史 −225−

民生の安定と社会福祉(2)

−岩滝における慈善救済(2)−


慶応2年(1866)8月7日夜から、8日へかけて、大風雨となり与謝郡、加佐郡、中郡、竹野郡等宮津藩内各地に水害があった。藩内各河川が氾濫し、壊れる家、二階から屋根迄も水がつき、家財諸道具類は勿論、農具其の外穀物、商品等流出したもの、或は水つかりとなるもの、復興も覚束なく、生活にも難渋しているということが、村々の役人から届け出られた。
藩では代官を派遣して調査させたところ相違がなかったので救米を出したことが記録されている。(与謝郡誌)

この時の岩滝の被害と、これに対する藩の救援は
男山村
 皆潰(全潰) 水呑二軒 二俵
 半潰     百姓一軒 一俵
 同       水呑三軒 一俵半
弓木村
 皆潰(全潰) 水呑一軒 一俵
であった。
慶応2年(1866)9月14日夕方、代官高橋中蔵支配所である与謝郡男山村、百姓伴蔵家から出火した。

類焼した百姓七軒に対し、麦十四俵此代銀二貫七百八十八匁九分六厘、一軒について二俵づつが支給され、麦五俵が類焼の水呑五軒、一軒に一俵づつ、9月21日郡奉行名で支給されている。
明治の終りから、大正の初期における慈善救済事業は、近きより遠きに及ぼすべき性質のものであるとして、町村に責任をもたせる方針をとった。
当時の岩滝村においても、慈善救済の事業は、隣保相扶け、郷党相頼るべきであるとして、この実績を挙げる努力をした。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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