岩滝の歴史 −187−

戦後における町村合併(14)

−京都府市町村合併史の概観(3)−


しかし、紛糾一年にして三十年七月二十日、五十河村の合併方向をきめる住民投票の結果、大宮派優勢となり関係町村住民の間にも反省と落着きがみられるようになり、八月六日町会における合併問題協議を境にして、岩滝町側は五十河村に向けての公式交渉を中止した。三十一年二月二十八日五十河村会議員選挙の結果は、再び大宮派が優勢(六対五)となり、ここに五十河村の向うべき方向と府の合併案が一致したのであった。以後紛糾のうちにも大勢は決し、同年七月一日をもって五十河村は大宮町に編入された。

その後五十河地区の岩滝合併派の希望する岩滝町への府道改修等が府において取りあげられた。
府においては、三十二年三月三十日町村合併のしめくくりを行なうに当って、岩滝町と宮津市の合併を勧告した。しかし、沢田町長再選直後の六月二十七日、町会は記名投票により宮津市との合併の賛否を問うたが、依然として合併賛成は少なく(十八票中三対十五で反対)町は勧告どおり合併できない状況にある旨報告して一応の終止符をうった。
岩滝町が市制参加に踏みきれなかった理由は、1、岩滝港をめぐる旧藩時代以来の優位性や橋北地方の中心としての地の利があること。2、面積狭小ながらも機業地として知られ、財政も比較的に余裕があったこと。3、合併により主体性が失われ、役場位置を喪失すること。4、市の観光行政と一致せぬこと。5、町民気風が相違すること。などでこのような動きとなったものであろう。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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