岩滝の歴史 −176−

戦後における町村合併(3)

−京都府の合併指導と岩滝−


昭和二十五年四月十七日、六ヶ町村議長会において、京都府から「他は合併問題については順調に進んでおるも、ひとり、与謝地区においてははかばかしくない。この際、大同団結して、この問題の討議を願いたい」との希望が表明された。
このように、岩滝町における合併問題に府の指導が加わり、町当局の合併に対する態度も積極化してきた。
同年、四月十八日の議員全員協議会で、議長が「現在のままでは、将来ドッジラインの実行に伴ない、小さい村は行き詰まってしまうことは明らかである。少なくとも一万から一万二千の人口を持たないと、経済的に行き詰まりを来たすから、命令ではないが、積極的に働きかけて一日も早く町村合併をして貰いたいとの意向である」旨を伝えた。

注 昭和二十四年三月のドッジ・プランはインフレ抑制のため国家予算の大幅圧縮を要請し、それに基く二十四年度予算は地方配付税の半減、国庫補助、負担金の削減、地方債の抑制など、地方財政を極端に圧縮する計画である。
更に、同年十月二十一日全員協議会では助役から、「助役会において、地方事務所長から、管内はこの問題についてはすこぶる冷淡で、一部の他は全く現状維持であるが、明年までに合併するのであれば、準備は今年中に完了しなければならないという説明があった」という報告が行なわれている。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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