岩滝の歴史 −178−

戦後における町村合併(5)

−吉津、府中両村へ対する働きかけの強化−


昭和二十五年二月一日の議会全員協議会で、嶋田町長は、「自分としては六ヶ町村の合併案は反対で、阿蘇海周辺町村の合併を望んでいる。」旨の発言をし、その後三ヶ町村合併懇談会がもたれた。
議会でも「産業、人情、地形等において、条件の等しい三ヶ町村の合併から出発するのが、岩滝町としては理想」(二五、七、一二、全員協議会議事録)であるとして、その方向に動いた。

昭和二十五年十二月二十二日、宮津町長および議長との協議において六ヶ町村合併の話を打切り、合併委員会を一応解散することに決定し、府中、吉津両村に対し、合併の働きかけを強化した。
しかしながら、府中、吉津の両村は、宮津町の市制実現のためには欠くことのできない地域であるため、宮津町からの勧誘もあり、特に吉津は文殊地区が宮津に隣接しているため、岩滝町の働きかけに対してその態度を明確に示さなかった。

こうして、シャープ勧告−地方行政調査委員会の勧告による合併への刺激は一挙に合併を実現することができずに終った。
注 シャープ勧告
昭和二十四年四月八日行なわれた勧告
すなわち、より強力な地方団体を実現する一条件として、国、都道府県、および市町村間の行政事務と責任の分担の明確化と、行政事務再配分における地方、とくに市町村優先主義とを主張し、財政的には地方税独立主義、平衡交付金制度を勧告した。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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