岩滝の歴史 −13−

平安時代@−丹後の国司−


平安時代になってからの丹後の国司の名は「縁城寺年代記」などでしることができるが、その業績、殊に岩滝町との関係が文献に現れているものは少ない。
岩滝町と男山の境にうっそうたる樹木の小山がある。加舞満神社の森で、もと板列神社はここにあったが、丹後旧事記によると、ここに曹根好忠の城があり、ここから国分の役所に通勤していたものであろう。
藤原保昌が情熱の歌人和泉式部をつれて丹後に赴任して来たのは一条天皇の治安2年(1022)である。保昌は都からどういう経路を通って丹後に来たのであろうか。
古事談や与謝郡誌上巻によると丹後の国司は丹波から大江山を越えて加悦町にはいり、野田川町を経て、岩滝町を通って役所に着いたのではなかろうか。
和泉式部は、保昌が任を終えて都に帰った後も丹後に残り、吉原の里(中郡峰山町)に住んでいたが、次の国守兼房郷にたずね出され、花浪(はななみ)の館に迎えられ和歌のことなど話し合った。
後、山中村(宮津市山中)に庵を造ってもらって、ここに住むようになったと伝えられている。その庵の跡に浅黄色の桜が「式部桜」といわれている。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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