岩滝の歴史 −15−

平安時代B−神社−


インドの仏菩薩は衆生を救うために、日本に神の姿になって来たのだ。すなわち「本地垂迹」(ほんちすいじゃく)の思想である。こういう思想が僧侶の姿をした神像(僧形神像)や女神像を神社に神体として祀るようになった。

板列八幡の神像
板列八幡神社は小野僧正仁海が勧課して後一条天皇(1017〜1036)の頃建てたものであると伝えられている。 神体は僧形八幡神と神功皇后であるといわれる女神像である。

延喜式
醍醐天皇の延長5年(927)に「延喜式」の著述が完成し、全国の神社が登録され、朱雀天皇の承平4年(931)に「和多類聚抄」(和多抄)が書きあげられた。われわれはこうした文献によって1000年前の朝廷の儀式、百官の作法、地方行政の規定、神祇の制度、あるいは、天地、人倫、官職、調度、離獣、草木、時令、楽田、湯楽、国郡、殿舎などの日本名(和名)を知ることができるようになった。 岩滝町で延喜式に登載されているものは板列八幡神社、木積神社の2社である。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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