岩滝の歴史 −173−

兵事(7)

−忠魂碑・・・平和塔・・・忠霊塔−


与謝郡内の各町村では大正の末年までに忠魂碑を建てて国に殉じた英霊を祀った。岩滝町ではまだその実現を見ていなかった。
在郷軍人分会長大江都実(木積神社神官)、副会長小室敏治が舞鶴軍港に行き、日露戦争の際捕獲した露艦アリヨールの主砲を譲り受け、岩滝小学校校庭北西隅に忠魂碑を建てる計画をした。
昭和二年七月九日その除幕式が挙行された。
碑表の文字、忠魂碑は陸軍大将一戸兵衛の筆。頂上には巨大な金鵄が羽ばたき、稀に見る偉観を呈した。
この時、大江・小室の二人は既に更迭し、武部清が分会長となっていた。
太平洋戦争の時、銅、鉄等、金属が回収されたが、この大砲の忠魂碑は全体の七分迄がコンクリートで固められ、とりこわしが容易でなかったので供出を免除された。


忠霊塔

戦後、進駐軍から忠魂碑撤去の指令が出た時には、忠魂碑の文字を削って平和塔に替え、金鵄を下ろして、富田松治製作の鳩を掲げた。鳩は五尺回りの天橋の松で作られ、前の金鵄に匹敵する見事な美術品であった。
然るに、平和条約締結後、昭和三十一年十月十四日、又鳩が下ろされ、平和塔は忠霊塔となり、除幕式を兼ね慰霊祭が挙行された。
「忠霊塔」は元大将植田謙吉の書。
忠霊塔には、岩滝町戦病死没、陸軍少佐蘇理正外二七九柱(昭和四十三年三月一日現在)の英霊が合祀されている。
尚これ等英霊の遺族は二百三十一名である。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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