岩滝の歴史 −246−

保健衛生(5)

ー医事(1)−


大正十二年頃、与謝郡内には、医師が宮津町の十四人を筆頭に合計三十三人、内、岩滝町には三人の医師がいた。
当時、歯科医は宮津町に四人、加悦町、養老村に各一人、合計六人。薬剤師は郡内に五人、その内訳は宮津四人と加悦一人であった。
産婆(助産婦)は与謝郡に合計二十人。岩滝には一人もいない。(与謝郡誌)
古老の話によると、大正十二年頃、岩滝町には三人の産婆がいた。
元町長三谷長次郎の妻かよの外、前沢猪生の妻初子、垣田こう(上宮津出身産婆技術にすぐれ、手腕を高く評価されていた。

兄は郡役所書記、こうは大正末年まで岩滝で開業していたが、息子俊一は旧制宮津中学校出身の秀才、後、こうは東京の息子のところに移り住む)の三人であった。
すなわち、「与謝郡誌」完成当時、岩滝には三人の産婆が居たことが真実のようだ。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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