岩滝の歴史 −114−

明治維新後(1)

宮津県豊岡県と郡区制


明治2年(1869)2月、七万石の領主本庄宗武藩籍を奉還したが、旧領主が藩知事を仰せ付かって藩政を執り、制度は旧態依然たるものであった。
明治3年(1870)太政官の達しによって旧来の庄屋の名称を村長と改め、村の行政を掌らしめた。
明治4年(1871)7月14日宮津県と改まった。
村長を里正と改称し、従前の事務を取扱わせた。しかし、県知事も、参事も、その他の職員は総て旧藩主及び其の家臣で占められ、県そのものの実態は依然として旧藩と異なることがなかった。
同年11月2日、いよいよ廃藩置県が行われ、県は政府の地方庁であって、旧藩とは全然関係のないものとなった。
明治5年(1872)丹後は豊岡県の管轄に入り、区制を設けられるに当って、与謝郡はその第十二大区及び第十三大区の一部に分割編入された。
当時の制度は数十ヶ町村を合して一小区とし、数小区を合して一大区とし、旧来の各村の庄屋を戸長とし、小区に区長若しくは権区長を置いて戸長を監督し、大区には郷長を置いて県に直属して小区を監督した。
我が岩滝は豊岡県の第十二大区の第五小区に属した。すなわち第十二大区の第五小区は男山村、岩滝村、弓木村、下山田村、上山田村で編成され、岩滝村に区務所がおかれた。
明治9年(1876)8月21日、豊岡県が廃止になって、当地方は、京都府の管轄に入り、宮津町に京都府宮津支所が置かれた。
10月1日から群区制がしかれ、上山田村、下山田村、弓木村、岩滝村、男山村は与謝郡第六区(岩滝村誌では第五区)となった。そして岩滝村に区務所が置かれた。
なお、与謝郡は九区に分けられている。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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