岩滝の歴史 −115−

明治維新後(2)

−組戸長制・単村戸長・連合戸長−


明治11年(1878)、太政官布告第十七号、郡区町村編成法が発布され、翌12年3月14日組戸長制が実施された。
すなわち十乃至二、三十ヶ」村を以って一組とし、組内二、三ヶ村に受理戸長を置き、町村戸長、組戸長が置かれた。
与謝郡は五組に編入され、岩滝は第二組に編入された。
第二組 岩屋村、幾地村、四辻村、上山田村、下山田村、石川村、弓木村、岩滝村、男山村、須津村、文殊村、有田村、田中村、鍛治町、猟師町(与謝郡誌)
此の組は、翌年変更され、岩滝辺りは第六組となった。
「岩滝村誌」には男山村、岩滝村、弓木村、上山田村、下山田村、岩屋村、幾地村、四辻村、石川村、須津村の岩滝村外九ヶ村が第二組に属したように書かれている。
岩滝村に戸長役場を置いて行政事務をとった。
仝(おなじ)13年、更に組制に変更が行なわれ、第二組十ヶ村の内、五ヶ村を分割して岩滝村外四ヶ村(男山村、弓木村、上山田村、下山田)を以って、第六組を編成し、戸長役場は依然岩滝村に設置されていた。(岩滝村誌)
明治14年、組制が解除され、単村戸長に改正された。
すなわち、岩滝村、男山村、弓木村の各村にそれぞれ戸長役場を設置して其の村内の行政事務を執らせた。
「与謝郡誌」には、明治13年11月区町村会法の発布があり、翌14年従来の組制を改め、組戸長、受理戸長等を廃して、数村連合の戸長役場が設けられることになっている。
明治17年(1884)6月、甲第四十号改革によって、単村戸長を連合戸長とし、与謝郡に十八の連合役場を置いた。岩滝村、弓木村、男山村の三ヶ村を一区域として、戸長役場を岩滝村に置き、直接郡役所の監督を受けて連合三ヶ村の行政事務を処理した。
各村は再三統合分離し変遷甚だしく、異動頻繁をきわめ、資料、年代、範囲等に差があり「与謝郡誌」「岩滝村誌」を中心に整理して見たが、はっきりしない点が多かった

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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