岩滝の歴史 −116−

明治維新後(3)

−幕末ごろの村の行政と生活〜其の壱−


幕末ごろの各村の生活を知りうる史料は次第に少なくなっているが、その一端をうかがうことのできるものに「与謝郡各町村沿革調」(京都府庁文書)がある。これは、京都府が府下の全戸長役場に提出させた取調書で、その中には「与謝郡岩滝村、弓木村、男山村沿革取調書」も収められており、明治20年7月10日に岩滝村二ヶ村聯(連)合戸長の平田文蔵がとりまとめて提出している。
ここでは、その中から幕末〜明治初期の村の生活を物語る部分をいくらか抜粋してみよう。

旧時草高
一、高千百六拾壱石五斗八升弐合 岩滝村
一、高千三百七石六斗一升弐合 弓木村
一、高千四拾石七斗五升八合 男山村

郷村並町村分合名称
一、岩滝村 弓木村 男山村
右三ヶ村ハ往古板列ノ荘ニ属スル雖(いえども)其時代詳ナラス
一、弓木村
本村ハ往古斎木(いみき)村ナルヲ改称シテ本項ノ村名ヲ称スルモ其時代詳ナラス又枝村石田分分離ノ時代攻(考)フ可ラス

役員名称並配置
一、往古村役人ノ名称詳ナラスト雖(いえども)中古ニ在テハ庄屋組頭百姓代月番等ノ称ヲ以テス
但本項村役人ノ外ニ大庄屋ナルモノアリ数十ヶ村ヲ併セテ組トナス

一、右役人ハ庄屋ニ在テハ各村一名ツヽ、岩滝村、弓木村組頭二人ツヽ、男山村ハ仝上一人、岩滝村、男山村ハ百姓代一人ツヽ、弓木村ハ仝上二人、岩滝村ニ限リ月番六人ヲ置ク
一、右役人ノ給料ハ概ネ左ノ如シ
岩滝村 庄屋給料一ヶ年米 弐拾四俵
弓木村 庄屋給料一ヶ年米 拾八俵
男山村 庄屋給料一ヶ年米 拾六俵
岩滝村 組頭給料    米 三俵ツヽ
弓木村 組頭給料    米 三俵ツヽ
男山村 組頭給料    米 六俵
弓木村 百姓代日給  米 二升
一、各村庄屋ノ年期ハ三ヶ年ニシテ、組頭百姓代ノ如キハ一ヶ年ヲ以任期トス

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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