岩滝の歴史 −143−

明治維新後(30)

−男山分村問題(下)−


しかし、同年三月、両部落ともさらにあいついで分離独立願を知事に提出したので、ついに同年十一月に至り知事は男山分離の利害得失を村会および郡参事会にはかるべき旨を郡長に訓令した。これに対し、村会および郡参事会は、ともに男山の分離を認めなかったので、男山部落は三十三年七月、府参事会に検討を求めるとの陳情書を送る一方、全部落一三〇余戸が村税滞納を行なって同年十二月には全戸が処分を受けたりした。 さらに、翌三十四年六月には、男山部落より内務省へ陳情を行なっている。また三十五年三月になると、男山は単独分離不可能の場合、府中村または他村への合併を希望し、知事あての追願書を提出、翌三十六年には府中村への組替えを陳情した。しかし、結局これらの要求は通らず、同年十二月九日、次の六条件を男山、岩滝両部落が承認し、長年にわたる分村問題は決着したのである。 決定書
一、従来ノ内約ニヨリ、男山部落ヨリ岩滝村会議員参名選出スル事
一、役場吏員ハ各部落ヨリ名望アルモノヲ挙ケテ改良スル事
一、従来常設委員ヲ廃止シ、必要ニ応シ臨時委員ヲ設置スル事
一、村税徴収ニ対シ滞納者ナキ様、各部落ニ於テ処理スル事
一、右徴収ニ対シテハ区長ヲ設ケ之レガ便宜ヲ図ル事
一、現今字男山部落ニ建設アル避病舎ヲ代価三百円ヲ以テ岩滝村有ニ買収スル事
但シ右建物ニ付買収価格ヨリ利潤全シタルトキハ、其潤益ハ字男山ニ相渡ス事
(主として「京都府市町村合併史」による)

 

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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