岩滝の歴史 −144−

明治維新後(31)

−町制施行(上)−


大正十年(一九二一)四月一日、岩滝村は竹野郡間人村と同時に町制を施行し岩滝町と改称した。これは明治三十九年(一九〇六)の田辺村の町制施行以来のことで、以後の府下での町制施行の刺激となった。岩滝村の町制施行に至るまでには、長年にわたる運動が行なわれている。まず、同村では明治四十二年(一九〇九)三月二十九日、村会で村名改称(町制施行)の上申を決議し、四月一日郡長を通じて大森知事のもとに提出した。



町施行記念自転車仮装行列(岩滝小学校集合)

上申書の内容を要約すれば、(1)本村が縮緬の産地をもって知られ、当時その生産額は年平均六十万円に達し、京阪向け商取引が行なわれていること、(2)奥三郡および加悦谷一円から宮津や京阪に出る旅客、貨物は岩滝港を利用し、陸海交通の要地に当っていること、(3)鉄道庁が宮津、岩滝間の遊覧汽船航行の計画をしたこと、(4)就業別戸数をみても機業従事者五割、農業三割、雑業二割で、商工部門の比率が増大の傾向をたどり、郡内では宮津町につぐ実力村になっていること、などが理由としてあげられていた。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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