岩滝の歴史 −145−

明治維新後(32)

−町制施行(中)−


一方、府としては町制施行の実益がはっきりせず、村内公共施設をみても町たるの要件十分ならずとみていたため、一旦これを却下した。しかし、商工業者を中心に町制施行は強い希望となっていたので、村では直ちに六月四日再上申し、翌四十三年一月十日改めて上申したが、同年三月七日の追願を最後にしばらく運動は中絶した。
その後、大正八年(一九一九)に至り、村ではふたたび運動をはじめ、六月二十日許可稟請を知事に提出した。このころになると、周囲の状況も当初にくらべてかなり有利な条件が出そろってきていた。

まず運動の当初では戸数も六七〇余戸、人口三,八〇〇人に過ぎなかったが、その後の十年間に戸数八五〇、人口四,二〇〇と増大をみせており、近郷の加悦町などと比較しても遜色はみられなかった。また当時、丹後鉄道の敷設計画が進むとともに、岩滝村内の停車場設置を出願しており、この際ぜひとも町制を実現したいとの念願が村民の間にたかまっていた。そこで、村ではさらに大正九年十二月二十日、糸井村長から馬渕知事に追願し、詮議の一日も早からんことを強く要望した。知事は翌十年三月これを許可し、四月一日をもってついに町制が実施されることとなった。その際許可指令と告示は次のようなものであった。

京都府指令 第三〇四〇号
与謝郡岩滝村
大正八年六月二十日甲第一五二号稟請其ノ村ヲ町ト為スノ件許可ス
但大正十年四月一日ヨリ之ヲ施行スヘシ
大正十年三月二十六日
京都府知事 馬渕鋭太郎
京都府告示第二百号
与謝郡岩滝村及竹野郡間人村ヲ町ト為シ大正十年四月一日ヨリ施行許可シタリ
大正十年三月二十九日
京都府知事 馬渕鋭太郎
(「京都府市町村合併史」による)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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