岩滝の歴史 −19−

鎌倉時代C−守護地頭−


壇の浦の戦の後、源頼朝、義経兄弟の関係は急速に悪化して来た。

平家討伐の戦に抜群の功を立てた義経は兄頼朝に追われて難を避けるため奥州に下って行った。頼朝は文治元年(1185)全国に守護地頭を置き、義経追捕の命令を出した。

守護の任務はただ義経の逮捕のみを目的としたものではなく、国内で治安を乱し、幕府に反抗するものがあればこれを討伐する任務をもつものであった。

地頭は農民が勝手に土地を処分することを取締り、農民が農務に励むように監督し、農民から年貢をとりたてて領主に納めるというような仕事の外、領内の治安の維持、すなわち警察権をもっていた。謀反人、人殺しのような大罪は守護の職権であったが、軽い犯罪についての捜索、逮捕処分は地頭に与えられていた。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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